パオ PAO COMPOUND HOME > 求人情報 >  
 
商と遊行 REVIEW COMMENTS 東中野駅前整備について
 
 
【 書紹介 】●作家は何を嗅いできたか-三橋修著-

●作家は何を嗅いできたか-三橋修著-
   現代書館二〇〇九年六月刊一九九五円

『作家は何を嗅いできたか』とは下世話な響きだが、深い感じの好題目である。本書には「におい」に絡んで主に明治以降の文学からの様々な引用が織り込められている。
田山花袋『蒲団』(明治四十年)の主人公時雄は、もはやいない女の「夜着の襟のビロードの際立って汚れているのに顔を押し付けて、心のゆくばかりなつかしい女のにおいをかいだ」訳だが、その悶々とした鼻振りは現在からそれほど距離があるとは思えない。自らも記者従軍した日露戦争から二年後に花袋はこれを著すが、その私性=モダニズムは思春期のような戸惑いを孕んでいるようでもある。
においというのは「いきなり脳を刺激し、言語化できないけれども各自にとって好きか嫌いかが明快で、記憶と結びつく」もので、「それはあくまでも感じるこちら側に問題があり」、「においがどう意識されたかには歴史」があって然るべしと本書は云う。でも「においはそこにあるにもかかわらず」、記録され得ぬライヴである。そういう点では「においに誰が何を感じていたかというのは実証のしようがない。だからなおさら書かれたものに頼らざるをえない」と本書は語り、「においを探る手立てとして」文学をみる。
確かに文学は「誰が何をくさいというのか」に関与している。泉鏡花『貧民倶楽部』(明治二十八年)での明快さは、冷めた神経質としての鏡花の尋常さであろう。興味深い。その鏡花三年前の明治二十五年に、松原岩五郎は『最暗黒之東京』で貧困者の集住地区を見事にルポルタージュしている。身分制による差異を廃止した明治政権は、「見た目では差がわからない」近代無産人を量産した。移動を解禁された没身分者たちは都市部へ流入してくる。東京には人が溢れて各所に貧困者の群れが出来上がる。
松原は貧困者集住区を「臭気」「体臭」「悪臭」の百家争鳴の場として描くのだ。英書『最暗黒の英国とその出路』は明治二十年に翻訳されており、松原は東京でその写しを著したのであろう。こうして探訪・報道手法が「くりかえし臭気を記述することで」暗黒=貧民窟は幾重にも「発見」されて行く。明治二十年代は「臭気」「悪臭」をもってある地域を括ることが生まれた時代だという。この探訪・報道手法は異文化(移民街・台湾・朝鮮等)を、低く遅れた場として確定するためにも活用された。耳の痛い話だ。
そもそもの貧民窟の発見も異文化体験であった。「西洋人にばかにされないように作られた」明治初頭の「違式詿違条例」の風紀の如く、日本の近代化意識がいかに西洋に対する萎縮と羨望によって成り立っていたかが判る。下層の群れを「におい」として描き出す明治の先進意識とは、近風景としてのにおいの額装化ともいえそうだ。
もっと耳が痛いのは、―下層の発見では、少なくとも「そこにあったにおい」が、(においを言挙げする時代の中で)「そこのないにおいがあると言われる」ように―転換する点である。島崎藤村の『破戒』(明治三十九年)の主人公丑松に仕向けられた「穢多に一種独特の臭気が有る」という風聞、岩野泡鳴『発展』(明治四十四年)『毒薬を飲む女』(大正三年)の主人公義雄が惚れた女に対して勝手に思い込みドタバタする「部落民」の匂い。いずれも「におい」と「くさい」は対応しておらず「においがあると言われている」だけに過ぎない。それは化粧のようでもある。そこでは「くさい」と名付けるだけの付価言葉(メタ言語)が威力を発揮している。
丑松に仕向けられた風聞の匂い、義雄が思い込む仮象の匂い、冒頭に触れた時雄が嗅いだ移り香の匂いは、後続の大正期に始まる作家に意識的に受け継がれる。まさに「におい」が私性の表象に深く作用してくるのだ。
芥川龍之介は初期の『世之助の話』(大正六年)で、「腐った灰墨」に子供の頃の「さびしい、たよりのない心もち」を感じ、また『偸盗』(同大正六年)では、炎天下で潰された蛇の「腥(なまぐさ)い腐れ水」や病人の腋や頸元に「腐った杏のような、どす黒い斑」の臭気を嗅ぐ。
そして自殺後に見つかった『或阿呆の一生』(昭和二年)の『九 死体』では「腐敗した杏の匂」、また『三十一 大地震』では「炎天下に腐った死骸の匂」を「熟し切った杏の匂」として著している。芥川は杏の匂いに己を移した。その「腐れ」と「熟し」の間をメランコリックにさ迷っている。もし『河童』(同昭和二年)の国に杏が登場していれば、その杏は腐れてはいないだろう。少なくとも熟し切っていないだろう。
彼は河童の国のユートピアンであった。同時に人間の国では、腐る必然に立ち尽くす終末論者でもあった。成長と腐れが同調しているモダニズム(現世)に悪酔いしつつ、芥川は現世を憂鬱(終末的)に嗅いだのだと思う。
注目すべきは、前記『三十一 大地震』で腐れが救済に絡んでいることだ。「炎天に腐った死骸(熟し切った杏)の匂も存外悪くないと思」い、「殊に十二三歳の子供の死骸」に羨ましさを感じている。ここに河童の国(ユートピア)が透けて見える。そして彼の「さびしい、たよりのない心もち」を伴った無垢への憧憬も表明されている。
こういう芥川の現世に対する急迫性のような抑鬱感は川端康成にはない。だが川端の表すにおいは豊富である。個々の生のにおいを見事に物にしている。
彼は目前の対象をそのまま観察し、においをその修辞の要にまで仕立て上げるのだ。その遠近法は―わたしとあなたの間―の嗅覚の距離である。「荒野にぽつんとある石のようにまったく天涯孤独」で「好奇心もなく軽蔑も含まない」観察者である自分=主体が、賞味期限付だがあるがままのあなた=客体を一方的に物語る。そこでは私本意の私近のにおいが次々に発見されて行く。しかもこの主客の構図に第三人称は必要とされない。川端康成はユートピアンであるよりニヒルを装った現世利益者なのだと思う。
もはや額縁入りの風景画のような「におい」は、川端にとって「世知辛いもの」でしかないのだろう。『伊豆の踊り子』(大正十五年)の一高生は旅芸人に同行する。彼は「旅芸人という種類の人間であることを忘れ」るくらい群れ(一座)に対する興味はなく、踊り子の少女に照準を定める。一高生にとっては少女以外すべて「世知辛いもの」である。自ら装う変身(同化)のための鳥打帽でさえ「世知辛いもの」だったであろう。
ここで嗅がれる「のんきな」「野の匂い」は少女との距離だが、カマトトぶった川端の舞台設定はたいへん魅力的だ。「生魚と潮の匂い」は実現できなかった私近を揶揄している。その匂いをまさに嗅ぎつつ、主人公は帰りの船で「涙を出委せに」するのだが、彼はもうそこでは立派な大人になっている。
自伝的短編集『掌の小説』の『二十年』(大正十四年)で、「霜焼けで腐っていくような皮膚」に「色情的な臭いを感じ」た私がおり、また『眠れる美女』(昭和三十五年)の江口老人は「黒い娘」の腋臭に「いのちそのものかな」とその野生に惹かれ、その直後娘は死ぬ。川端がネクロフィリア(死体愛好者)だったかどうかは遠くに置き、彼は「生きているにおいと、死に際のにおいと、死者のにおいとに差別をつけていない」のであり、「ここでのにおいは、存在そのものを指している」という著者の指摘に深く同意したい。においを存在の性起として捕らえる川端の遠近感は、still-life(静物画)を嗜む孤独な近代人の私性を彷彿させる。
六十年代(昭和三十五年〜)の三島由紀夫と大江健三郎は皆様に任せる。この二人はどうも疲れるのだ。むしろ本書絃呂播仂譴靴討い訝羮綏鮗,楽である。『枯木灘』(昭和五十二年)は荒ぶるも美しく紡がれている。その物語に織り込まれるにおいもまた興味深い。主人公秋幸に纏わるにおいの情景は、日も水も汗も路地もすべてがにおうだけではなく、「においと音と呼吸が等価」で「土や草が生きているその呼吸と秋幸の呼吸が共鳴して」いる。本書が指摘するように、「中上の描く自然は、私たちの目にするいわゆる自然とは違い、人間の抗いよって呼吸を思わず知られてしまう自然、敢えて言えば神話的超自然」=「神話的におい」なのであろう。
芥川には客体の内に己を投射する主客のこだわり的な合一表現があるが、川端にはそれがない。観察する私が、あるいは客体(対象)を消費(解釈)する私近が世界に木霊することで止る。しかし中上のそれは様相が代わるのだ。芥川にせよ川端にせよ主体と客体の距離が近くなることすれ、両者は主―客の主従関係の内に定立しているが、中上の関係は客体―客体の連鎖であり、その連鎖に主従関係は伴わない。そこで自動力を持った「抗い」が出来事を起こす。客体と客体とは共鳴し「呼吸を思わず知られてしまう自然」として顕れて、―第三人称としての私―とも言うべき世界を語り始めるのである。そのリフレインの響きは存在しない神の息吹のようだ。
この「神話的におい」の内に、名付けるだけのメタ言語の威力が変化される、という作用を見るのは曲解であろうか。
風聞の匂いや仮象の匂い、果ては無臭などと、近代人は臭うことからズレを起こした匂いの化粧坂を駈け上がってきた。いまや私たちは付価の万華鏡の中で虚ろなマニエリズムを生きている。たとえ消臭と言ってみたところで「実は他のにおいによってカヴァー」されるに過ぎない。このにおいのアトム的羅列は、メタ言語の覇権を永続的に拡大するが如くの勢いである。そのような覇権の場において中上の「抗い」とは、客体間のモナド的連鎖―すなわち、見えない糸を紡ぎだすスピンドルという動力の希求、とも読める。
ここで本書をもう一度読み直してみたくなった。次はまた違う感想になるかも知れない。ことは「におい」である。
装丁に一言。萬鐵五郎画「裸体美人」(明治四十五年)を提案したのは確かに僕だが、腋窩部分のトリミングという解釈と嗅の丸ゴチぼかし袋文字は、その説明的意図がいやらしい。ノンポリの政治主義である。この明治四十五年の画も本文と同様に対決してほしい。

平成二十二年元旦 パオ代表 安仲卓二


2010年01月01日(金)  

No. PASS
2010年01月01日(金)
【 書紹介 】●作家は..