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アフガニスタン特派通信2―2008年9月30日

 アフガニスタンでは断食明けのイード(大祭aed al fitr)が今日から始まりました。29日の17時にカーブル空港に降り、市内には寄らず即夜道をマザリシャリフまで車でとばしました。クンドゥーズ行の道路で強盗団がでるとペシャワルで聞いていたので夜行はどうかと思いましたが、現地でマザリシャリフへの道は問題ないという信頼性のある報告があり即断しました。24時過ぎマザリシャリフに到着、近郊の友人の村に入りました。
 今回の旅行はパオという小さな事業のための調査(絨毯産出地調査)がメインなのですが、個人的には他の想いもあります。ペシャワルもそうでしたがアフガニスタンにおいても外国人の姿を見かけません。私の目的地はもともと余所者が入れるようなオープンな村ではないので当然ですが、国際線の着いたカーブル空港内外で外国人の姿が見られないのは妙な感じです。理由は解ります。しかしタリバン政権崩壊後のカーブルは外国人でごったがえしていました。2001年の秋から国家援助とか民間援助とかを理由に国際機関スタッフ・企業人・NGOスタッフ等が流行のようにカーブルを訪れました。丸7年がたとうとしている今はなんともいえぬ寂しさです。8月の下旬ペシャワル会に所属する伊藤さんがジャララバード近郊で亡くなりました。水の泡のように消えてゆく流行りのNGOとは一線を画しているペシャワル会の活動は私も知っています。メディア対策にも優れていて、日本においてはアフガニスタンと関わる最良の部類の団体だと私は思います。亡き伊藤さんは捕捉・連行され殺されたとのことです。なんとも痛ましく、そして無念な気持ちが湧いてきます。この出来事も今回の私のアフガニスタン訪問の隠れた想いの一部でもあります。
 私は伊藤さんに関する報道を逐一見ていた訳ではありませんが、そのニュース等で気になることがありました。情報が錯綜するなかでペシャワル会の事務局長は言葉を選び慎重にメディアと対応していたと思います。その中で極めて印象的な発言がありました。この事態においてもペシャワル会は退き返さない、このまま撤退したら「日本人は駄目になる」と言ったことを憶えています。私は事務局長のこの言葉に光るものを見ました。少し安心もしました。後は伊藤さんの無事を願うだけだと思った訳です。しかし伊藤さんは遺体で見つかりました。ペシャワル会事務局長の沈痛なる会見をTVで見ました。私は伊藤さんが生きて戻ると思い込んでいたので、そのあまりにも早い死の知らせに驚きました。アフガン人はどうなってしまったのか、殺す意味がわからないと戸惑いました。嫌ぁーな感じです。すなわち策略のにおいです。それってもしかしてISI?と一瞬私の頭を過ぎりました。
それはそれとして、…その後ペシャワル会事務局長は「これ以上一人たりとも犠牲者を出さぬために日本人スタッフを現地から引き戻す」とメディアに明言していました。私は最悪の自己チューだと思いました。加えて中村医師だけは現地とコンタクトを取るという玉虫色のインフォメーションをする訳です。そういうことは黙ってやれば良い。殉教志願のパフォーマンスあるいはスタンドプレイを見せられた気分です。たとえ後にあれは撤退の意味ではないと言っても、何れにせよメディアは「撤退」宣言にしてしまう、そんなことは分り切っています。メディアを使おうとしたものがメディアに使われてしまう。メディア戦術に長けていた筈の事務局長の発言とは思えませんでした。メディアに対しても大衆に対してもそんなサービスは必要ありません。「日本人は駄目になる」という光が、別物に変わって行くのを見た気がしました。明らかになにかが変わったと思います。あえて関連付ける必要の無い話ですが、天皇は伊藤さんの死が確認された直後ペシャワル会に「弔電」を打ったと報道されました。それも印象に残りました。
もう一つ隠れた想いがあります。明日は20年前アフガニスタンで亡くなった南條直子さんの命日です。南條さんは1988年10月1日カーブルとジャララバードの中間のサロビ近郊で戦闘取材の最中に地雷を踏んで亡くなりました。次は明日の命日に書こうと思います。 

30sep.2008安仲卓二(パオ代表)
2008年10月14日(火)  

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2008年10月14日(火)
アフガニスタン特派通..