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アフガニスタン特派通信3―2008年10月1日

 伊藤さんの死と南條さんの死は20年の歳月の差がありますが、私にとってはそれらの死に年月の差はありません。今回の旅行は「我もアフガニスタンにありき」というようないにしえを想う気分ではありません。「アフガニスタンにも死はありき」という直接的な気分です。今の私は時間に対しても空間に対しても遠近法が作り辛い気分であります。常々私は南條さんの撮ったアフガニスタンの写真にコメントを書きたいと思っていました。南條さんの両親から写真展の許しが出たので、パオ・ギャラリーで来月11月28日(金)〜12月7日(日)に開催したいと思います。是非寄ってみてください。
なぜ彼女の写真にコメントを書きたいかというと、南條さんを思い出そうとか追悼しようとかいう気持ちではなくて、アフガニスタンを対象とした仕事において競合したいと、私は今でも思っているからです。だから南條さんは良くも悪くも素晴らしい人だったとか、彼女の人生は壮絶だった、というような人生ストーリーを描く気は毛頭ありません。私も多少のアフガニスタンとの関係を持ち続けています。だから南條さんが撮った(撮ろうとした)アフガニスタン、書いた(書こうとした)アフガニスタンに興味があります。私は彼女と歳が同じだったということもありますが、大雑把にいえば南條さんとは業種が違うライバルみたいなものだと思っています。そういう意味で私は、自分のアフガニスタンの仕事を堅持・継続しながら彼女に意見を言いたいと思っています。これは死者に対する私の正直な気持ちであります。私は南條さんと会った1986年頃からアフガニスタンの絨毯屋で、アフガニスタンの人間そのものよりも、それらが作った物を通してアフガニスタンと付き合おうとしていました。私の姿勢や方法は南條さんとは違いましたが、アフガニスタンを発見し対象物として接しようした事は共通していました。私の仕事はいまだ上手く行かないのですが、86年当時以来この立場を保っています。
これはある意味では死んだ南條さんとの約束みたいなものだと思っています。人間なんて20代で考えたことと50代で考えることとがそんなに違うとは思えません。20-30代でこだわっていたことは、50−60代になっても姿を代え形を代えて出てくるものだと思います。私は20年前南條さんとシリアスな言い争いをしました。20年経ってもたいして変わりの無いことをやっています。質の変化など恐れ多い話で、多少の経験と読書の量が増えたに過ぎません。よりずる賢くなったというのが実情でしょう。南條さんとの言い争いも一向に解決できません。そろそろ私も勇気を出さねばならない年頃になったようです。今回のアフガニスタン行は墓参りといったものではなくして、生を存続させる為に墓(死)そのものへの親和性を意識した再出発の旅だと思っています。
私は南條さんや伊藤さんとは道は違っても、日本人としてアフガニスタンの道を進みます。退き返すことはしません。この間のペシャワル会のことは知りませんが、私が思うに彼らもまた退き返すことはしないでしょう。ただし人道に縛られた道はどこまでも自分善がりな他人事然とした嘘と誤解をパートナーにせねばならず、アフガニスタンでは茨の道以上に険しい道があるように思えてなりません。武士のヒューマニズムより武士のキャピタリズムが問われているような気がします。絨毯を扱う小商人の私は武士にはなれませんが、クチヤン(遊牧民)の末裔と接しながらキャピタリズムが見えるか否かを感じたいと思います。
断食明けのイードも明日で終わります。村の道筋で出会う人はイードムバラク(おめでとう)と挨拶します。各家は挨拶廻りの客をもてなす菓子と茶が用意されています。晩餐はより豪華です。この3日間のイードを日本で例えるなら正月の三が日ともいえます。初源を想起する断食と瞑想のひと月を経た節目の時です。実はイスラム暦上は10月なのでここで年の更新はないのですが、でも生活上の節目としたら断食明けが、正にお正月といった感じです。イードムバラク!=明けましておめでとう!

南條直子命日‐01oct.2008安仲卓二(パオ代表)
2008年10月14日(火)  

No. PASS
2008年10月14日(火)
アフガニスタン特派通..