パオ PAO COMPOUND HOME > 求人情報 >  
 
商と遊行 REVIEW COMMENTS 東中野駅前整備について
 
 
アフガニスタン特派通信5―2008年10月12日

 ごぶさたでした。10日ぶりの通信です。いまマザリシャリフ中心部のバラカットホテルです。ペシャワル以来人の世話ばかりなっていましたが、初のホテル滞在です。此処は聖アリー廟(マザリシャリフの由来)の北東に隣接しているホテルで、聖廟が目の前に見える五階のシングルが空いていたので決めました。良いロケーションです。通信1‐4はイード3日間の時間のゆとりで書けたのですが、それからはコンピュータを開ける状況ではありませんでした。荒野、そして砂漠の隠れ里=アフガントルキスタンの旅行から帰ってきました。
4日の朝マザリシャリフでトルクメン人であるアブドゥル・サマッド氏(52)と合流しました。彼の職能・血縁・縁故・性格の助力がなければ今回の旅は不可能です。私は4日に合流して5日の出発だろう、などと勝手に思っていたのですが見事はずれて、サマッドは3日の夕方「カーブルから朝そちらに着く、即出発しよう」と連絡してきました。ということであわただしく4日の朝マザリシャリフを離れて、いよいよアフガントルキスタンの旅がはじまりました。アクチャ(aqchah)−シュバルガン(shbarghan)−アンドホイ(andkhoi)−ハミヤーブ(hamiaab)−カルキーン(qarqeen)−アクチャとアフガニスタンにおけるトルクメンの主要テリトリーのひとつを周遊してきました。この詳細はこの通信の量ではできないので、帰国後ゆっくりと行わせていただきます。
 大雑把にいうとマザリシャリフの北はウズベキスタンと接しています。マザリシャリフを西に幹線道路に沿って約80km行くとアクチャです。古都バルフ(balkh)はその間のマザリシャリフに寄った約20kmの地点にあります。アクチャの北はトルクメニスタンと接しています。アクチャ・シュバルガン・アンドホイは幹線道路に接した街々です。シュバルガンはアクチャから南西の約50kmに位置しており、ジョズジャン(jozjan)州の州都で比較的大きな街です。さらにアンドホイはシュバルガンから北西に約65kmのところにあります。アンドホイの街の半数はトルクメンで占められ、トルクメン色の濃〜いバザールが残っています。私はいままで見たアフガニスタンのバザールの中でアンドホイのバザールが一番気に入りました。道と路地が人・産品・家畜と一体になった渾然たる姿、このバザールに市の原初を見せられた思いです。この渾然たる物と出来事の交叉、その連綿たる継続に感動します。車に占拠されない道は人と物が光っています。来てよかったと思いました。
 アンドホイから先は幹線道路から外れます。ここからが目的の村に至る道です。一転して今度は北東に進路をとります。トルクメニスタン国境を流れるアムダリヤ(amu darya)河南岸に向かって、全視界地平線の荒野を横断するのです。アンドホイからハミヤーブまで北東に約80km、最初はなんとか舗装された道が続きますが、途中からは荒野の轍を頼りにした道無き道です。サマッドがトヨタのハイラックスサーフ(4駆)を用意した訳が分りました。「サハラ(砂漠)だな」と私がいうと、サマッドは「少しむこうは全部シガ(砂)だ。この車でも難しい」といいます。止まってはなりません、とたんにタイヤが砂に埋もれます。日没後ハミヤーブに着きました。もうアムダリヤのすぐ近くです。
 次の日、ハミヤーブから東に約25km、さらに砂漠の道を進みます。チャージババ(chaaji baba)という円錐の頂上が麦の穂のような形をした山が右手に出てきます。この荒野のモニュメントを北巻きにまわると左手にトルクメニスタンの山並みが見えてきます。まだアムダリヤは見えません。昨日と同様過酷な道のりです。砂漠の前方に細く村らしき緑が現れました。その緑の合間に土のゴンバット(ドーム)が見えます。なんというコントラスト、この遠近の広がり、光の織物です。土漠と砂に沈まぬように走り続けねばならない車から見えた村は、とても美しいものでした。
同時に「ようこそカルキーンに!」サマッドの声が私の耳に木霊します。とうとう来ました。車は大河アムダリヤの南の岸辺で止りました。10月7日のことです。

12oct.2008安仲卓二(パオ代表)
2008年10月14日(火)  

No. PASS
2008年10月14日(火)
アフガニスタン特派通..